naoko19777’s diary

2017年7月、四十路突入。

人生の終わりの迎え方

私はおそらくこの先も結婚することがなくて、一生独身で過ごすのだと思う。性格上、人と交わることが苦手で、そっとしておいてほしいと思うことが多い。なので必然的に人生の終末期について考えざるをえなくなる。

 

一般的には家庭を持って子供を生んで、その子供、またはお嫁さんに面倒みてもらったりするのかもしれない。一方私は人生の終わりを迎えるとき、世話を焼いてくれる人が周りにいる可能性が、きわめて少ない。

 

 

孤独死関連のネット記事によると、死後、遺体が腐敗して大変なことになるらしい。そんなふうに孤独死した人はきっと、そっとしておいてほしい、おおごとにしたくないっていう思いがあったのではないかと思う。しかし心の奥底で助けを求めていた声が、死後、大きくなるかのように、遺体の腐敗は進み、3次元への爪痕を残す。なんとも、、哀しいな。

 

人生の最大の目標は、命をまっとうすることだと思っている。どのように生きるか、ももちろん大切なことだけれど、とにもかくにも与えられた寿命を生き切ること。自ら死を選んでしまう人の中には、もう本当にそうする以外にどうしようもなかった人もきっといると思うけれど、反対に、堪えて生き抜く道もなかったわけじゃない人だってきっといると思う。

 

私は過去、数え切れないほど死にたいとか消えたいとか思ってきたけれど、私の場合はいつも「生きる」という選択肢が大きくあったし、どんなに死に方を思い描いても、それが馬鹿げた想像であることを知らしめるインスピレーションに助けられてきた。

(まあ、それだけ、私の悩みって実際に浅かったということなんだろうけど。)

 

だから日々、とにもかくにも、生きている。年齢を重ねるごとに体も心も思うように動かなくなるだろう。少しでも自分で何でもできるように、食事や運動など、気をつけている。両親があの世に旅立ってもきっと今とたいして変わらない生活なんじゃないかと思う。いや、稼ぎはもっと減るかもしれないけど。増やす気概が未来の私にあればいいのだけど。

 

で、今みたいにとにかく日々を生きていて、そのうち体のどこかを悪くして動けなくなるか、突然に倒れて息絶えるか、どちらかなんじゃないかなあと思う。

 

人生の最期は、病院だろうが自宅だろうが、私の最愛の場所、お布団の中で眠るように旅立てたら最高だ。それを目指して生きている。でも自宅で眠るように死んだら、誰にも気付かれずに腐臭を撒き散らすことになってしまう。それよりは人が集まる場所で倒れて息絶えたほうが、社会的には迷惑をかける度合いは少ないのかもしれない。

 

私はひっそりと人生を送りたいタイプの人間だし、それゆえにひっそりと死にたい。だから、孤独死問題で地域コミュニティーへの参加とか、見守りとかで解決しようっていう論調には、積極的になれないところがある。

 

ひっそりと息を引き取ったあと、魂はきっとその様子を見ているだろうに、どうにかして誰かに伝えられないもんかなあ。。

 

姪っ子甥っ子がいるので、彼らになんとか虫の知らせで。。とか思うのだけど。もう、交流もなくなっているだろうけど。できるだけ迷惑かけたくないなあ。

 

今年40歳になる程度の歳で、親だってまだピンピンしてるのに何考えてるのかと思うこともあるけれど。仮にこの先結婚することが万が一あったとしても、死ぬとき独りに戻っていないとも限らない。子供を生んだ人だって、場合によっては身寄りがないに等しいこともあるだろうし、孤独死って誰にでもありうる問題だと思う。ただ、お金があれば養老院なり病院なりで最期を送れる。やっぱ世の中カネなんだなあ。。

 

って、、哀しいまとめ方。。