naoko19777’s diary

2017年7月、四十路突入。

30代を振り返る

とうとう30代が終わってしまう。30歳になったのが、2007年。その年の初めに、結婚するつもりだった人を親に会わせ、すぐ関係がぐだぐだになり、春には独りになっていた。相手が不甲斐なかったから私から別れを告げたんだけど、後になって振り返ると彼をあんなふうにしたのは私にも原因があると思うし、類友の法則でお互いさまだったんだなあと今では思っている。あんな私に付き合ってくれていたことに感謝だ。まあ、お互いさまなんだけども。

 

彼は大学時代の先輩で、大学時代にも付き合っていた。彼が卒業して関東に帰るから遠距離になるし僕には無理だというのでしかたなしに別れた。その後わたしは別の人と出会って付き合ったけど、今度は私が卒業して実家に戻るのをきっかけに、別れた。それからどんなふうにして始まったんだったか覚えてないんだけど、たぶん彼のほうが連絡をよこしたんだろうと思う。なんとなく、始まった。結局、遠距離のまま。

 

私は実家の家業を手伝っていて、出会いがまるでなかったので、彼と最後に別れた時、もうこれで一生独りかもしれないな、と思っていた。今はいいけど40歳くらいになるとやっぱり独りは嫌だと思ったりするのかもな、とか考えていたけど、その時が来てみて、今、どっちとも言える。独りは嫌だけど、独りは楽だ。

 

30代は、どうすれば親元を離れられるのか、どうすれば自分で食べていけるかを考え続けた時代だった。と同時に現実逃避に音楽やライブ、妄想の片思いに浸っていた時代でもあった。

 

最初の頃はブログで友達ができたりして、ライブに行ったら誰かいる、くらいなコミュ力はあったんだ、私にも。でもなんか私のアクの強さがみんなを戸惑わせているような、そういう感じが拭いきれなくて、私のことを好きだと言ってくれる友達のことさえも受け入れ切れなくて、当時仲良くしてくれた人たちとはもう全然連絡を取り合っていない。ツイッターで探せばすぐ見つかるし、私の方も見つかっているかもしれないけど、お互いにそっとしておこう、ってことなんだと思う。

 

そういう経験があるから、誰かと仲良くなろうとすることがこわくなってしまった。一時的には良くてもじきにうまくいかなくなるだろう、と思うと声をかけられない。

 

でもそういう、コミュニケーションを遮断した状態が、何よりも私の人生の足止めになっていることは感じてる。関係がうまくいかなくなって当たり前、くらいに構えて声をかけるようにすればいいのかな。。

 

30代はライブの遠征もたくさんしたし、一人でフェスに行ったり、そういう出来事を挙げてみるとずいぶんよく遊んだような気がする。自分的にはかなり抑えてきたつもりだけど。でもまあいまだに貯金が少ないことの理由にはなるかな。

 

どうやって食べていくか、ってことでは、事務はもう御免だったので何か楽しいことを極めたい、つって編み物を選び、スクールに通ったりもしたけれど、突き詰めるうちにそれは自分が本当にしたいことではないことを認めざるをえない状況に陥ってしまった。

 

編み物をやめてから、私が本当にしたいことって何なのか、ずっと考えていたけれど、「そんなものはない」というのが最終的な結論だった。本当は誰にでもしたいことがある、心の奥底に埋もれてしまっているだけだ、なんていう人もいるけど、私は本当にしたいことなんて何もないんだと思う。そうじゃなきゃ逆に救われない。こんなに考え続けてきたんだから。

 

でもそれも言葉の綾というか、編み物で稼ぎたい、音楽で食っていきたい、みたいなことではなく些細な今したいことなら、絶対に誰にでもある。

 

・ただひたすらに寝ていたい

・気の合う友達とバカ話で盛り上がりたい

・あのライブに行きたい

・陽に当たりたくない

・ビール飲みたい

 

とかね。

そういう今目の前にある願望だけが真実なんだと思う。したいことを無理やりひねり出すのってナンセンスだな、と近年は思うようになった。

 

相手のあることはなかなか簡単にはかなわないけど、一人でできることならそれを優先すればいい。矛盾するやりたいことの中でどれを選ぶのかは、今後の人生を変えることになるだろうけど、でもフェスに行きたいけど準備のことを考えるとそこまで行きたいかどうかっていうとき、それでも絶対にその面倒くさがっている気持ちを押しのけてしっかり準備してフェスに行くべきだ!なんて言えない。空振りすることだってあるんだから。こんなんだったら家で寝てたほうがマシだったな、ってこともある。まあそういう経験自体も経験の一つなのでそれはそれで自分の実にはなると思うけど。

 

だいぶ書き散らかしてまとまりがなくなってきたところで。

40代はどんなふうに過ごそうか。

 

とりあえず両親の元を離れるのは諦めたけど、かと言って父の仕事の資格の勉強を心が拒絶した経験から言って、両親の身体がもうどうしても対応しきれないってなるまで仕事は今のままだろう。本当は並行して何かしないといけないんだけど。30代もずっとそれは考えてきて、よしこれだ!ってものには出会えなかった。どこかで何かが間違ってるんだな、きっと。

 

ただ、30代は時間の無駄も多かった。仕事といっても職場には親しかいないし暇な時は親も遊んでるから一日中ネットしてるだけ、みたいなこともザラにあったし。そういうのなくしたいな、せめて。

 

とくにSNSは、書き手の生活に引っ張られるようなところがあって、気持ちがふわふわと浮きがちだと思う。常に目の前の生活に振り回されているくらいのほうが健康的だ。そういう生活の中で、どうにかしてコミュニケーションを取り戻したい。昔と比べると親とはずいぶん壁が崩れた。これはこれで大きな進歩だと思うけど、本当は私はコミュ力あるはずなのに。って自分で感じる。羞恥心とプライドと、その他もろもろのしょうもない自分考察の結果、抑え込んでしまっているだけだと思う。だからそれを開花させていきたいな。

 

とか言っておいてとりあえず四十路一日目の明日はそういうことは置いといて、やりたいことをやろうと思う。

 

そうだ。一番大切なこと。自分を受け入れられなかったり、なぜ生きているのかわからなかったりしても、とにもかくにも死ぬことだけは避けて来た結果、今がある。今はまだ「やっぱり生きててよかったな」ってとこには辿り着いてないけど、未来に何があるかはわからないな、寿命はまっとうしないとな、っていう気持ちは、この10年よりも明るく持てるようになった。

 

どうしたってもう死ぬしかないこともあるかもしれない。それで行動に移して本当に死んだとしたら、それはもうそこまでの寿命だったということなんだろう。でももしそうでなければ、苦しみが増えるだけだ。障害とか持ってしまって今まで苦しいと思っていた何十倍も苦しい人生が待っているかもしれない。

 

そうやって自暴自棄にならずになんとか命を繋いでいけば、それでいいんだと思う。キラキラ輝いたり力強く生きられる人はとても素敵だと思うけど、そうなれない自分を責める必要はない。

 

なんかそういうことをもっと伝えていきたいな、とは思う。力強く生きられない人の味方になりたい。その人生を肯定するような活動ができたらいいな。今はまだ漠然としてるけれど。