naoko19777’s diary

2017年7月、四十路突入。

自己肯定感のこと(2)

先日、インナーチャイルドのことを考えてて、ふと、私のは「拗ねている」って言葉がいちばんしっくりくるな、と思った。それで検索していると、どうやらインナーチャイルドとは潜在意識のことらしい。「インナーチャイルド」も「潜在意識」も、なんとなく(人々に白い目で見られているという意味での)スピリチュアル的な用語のような雰囲気がある。だけど、「普段自分は意識してないけれど、心のいちばん奥底にある本音」という言い方だと、わりかし誰にでも受け入れやすい概念になるのではないかと思う。

 

自己肯定感のことを調べていると、頻繁に「インナーチャイルドを癒してあげよう」というワークが出てくる。幼い頃に受け入れられなかったとき拗ねてしまった自分に寄り添い、「つらかったね、もう大丈夫だよ」と声を掛けてあげる、というやつだ。

 

どうもこの、声を掛けてあげる、というのが嘘くさい。そういうやり方が悪いというのではなくて、私に合っていない。芝居がかっている感じがして、まったく癒された感じがしない。

 

それでずっとインナーチャイルドのことを考えてたわけだけど、子供だった自分を思い起こして今の自分が声をかけている、というところがマズいんじゃないかと思う。

 

そうではなくて、子供のときにそう感じたわけだけど、それを今も引きずってるってことは、今もそう感じてるわけだ。だから、今そう感じてる自分に理解を示すってことでいいんではないか。別に自分で自分を抱きしめるイメージなんて必要ないのだ。(そのほうが癒される人は存分にやればいい。)

 

たとえば、子供の頃、母親に甘えたかっただけなのに、冷たく「今忙しいから向こう行ってなさい!」と言われ、傷ついた。とする。そういうことがあったような気がする。はっきりした記憶はないけれど、今思いだせる子供時代の感覚として、そういうものがあるのはたしかだ。

 

母親は忙しく余裕がなくて、しかもめんどくさい性格の私をあやすのはそれだけで一仕事なので、そういう言い方をしてしまったのだろう、と今になって思う。一方で、そうは言ってもそんな突き放すような言い方せんでもええやんか、と拗ねている自分も、いまだ自分の中にいるわけだ。その自分が何歳かというのは関係ない。今、そういう感情が心のどこかにある、ということだけが大事な部分。

 

「母親がそういう態度に出てしまったこともわかる。自分が悪かったんだからしかたない。」という気持ちと、感情として「傷ついた」「寂しい」「甘えたい」という本音が一致してない。前者の母親に理解を示している部分はあくまで「状況の分析」であって、後者の感情が「自分の本音」だ。この自分の本音に理解を示してあげるってことが、自己肯定なのでは。そう、友達に声をかけるみたいに。「そりゃそういう状況じゃ傷つくよね」って。

 

ここであえて、自分以外の誰かに慰めてもらってるイメージだって別に必要ない。自分で「しょうがないよ」「そういうもんだよ」と受け止める、認めてあげる。それだけ。

 

ここ数日、それを試している。そしたらしんどいことがあっても、沈み込まずに済んでる。適当に流すことができている。

 

たぶん自己否定感が強い人というのは、責任感が強い、とか、社会的な善行に関心があったりとかして、そういうものに照らし合わせてできてない自分が許せないのだろうと思う。人間としてあるべき姿の理想像がかなり崇高なものになってしまっている可能性は高い。自分の理想とする自分の姿に、今の自分は辿り着けない。そりゃ理想が高すぎるからね。。そこのところでどう今の自分と折り合いをつけていくか、という話なのだ。

 

ダメな自分も受け入れるっていうのは、そういうことだろうと思う。冷静に考えて、今まで自分が生きてきた中でこれをできるかっていうと、経験が足りないんだからこういう結果になってしまうこともしかたないし、こういう感情が湧いてきてしまうのも当たり前だなーってことをしみじみ感じていく。

 

自分ダメやなー!と思うたびに、そういうことを繰り返していく。過去のことを思い出して、あのときの自分ほんま最低やったな、とか思ったときも、「あのときはあれでしかたなかったな」ということをわかってあげる。その積み重ねだけなんだとおもう。

 

まだ気付いて数日なので、ここからが楽しみだ。今年が終わる頃には、自己否定感の強い私なんてきっと消滅しているだろう…!!!

 

 

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